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サービスの温度差

2021.05.06

スターバックスによく行きます。

頼むのは大抵「ホットコーヒー」の「ショートサイズ」を「マグカップ」で。
税込み319円。

この商品の特典「One More Coffee」で、レシートを出せば2杯目は162円でお替りができるので、本を読みながらアツアツのコーヒーを2杯楽しむ毎回です。

私の街には3店のスターバックスがありますが、通っていると、お店によってサービスの温度が微妙に違うのが分かってきます。

表向きのサービスは同じです。
これはマニュアル通りです。

たださり気ない微妙なシーンで、それぞれのお店の温度差が如実に現れてくるから不思議です。

具体的には、市内のショッピングモールに入っている2店はいつも大変快適ですが、その反面ドライブスルーも付いたロードサイドの大型店は座席は快適ですがサービスのムラが頻繁に顔をもたげてきます。

以前このブログで、高校生がつまづいて、手に持っていたストロベリーフラペチーノを私が頭から浴びた顛末を書きましたが、この時とても気持ちのこもった温かな対応をしてくれたのはアリオ上田のスタバでした。

頻繁に「スターバックスラテ」を頼んでいた一時期、幾度となくハートのラテアートをさり気なくあしらってくれたのもこちらのお店の女性スタッフでした。

逆にロードサイドの大型店では、ブラックエプロン(格上)のスタッフが挨拶もなしに私のうしろに平然と客として並んでいたり、大好きなフレンチトーストを頼んだ際にいつものトレイもナイフもフォークもトーストを包んでいる紙ナプキンすらもこちらが言うまで用意されなかったり(意地悪されているのかと思いました)、ドライブスルーで妻のために「フラペチーノ」の「シトラス果肉追加」を注文したら、スタッフが私のドリンクを作りながら馴染みの客に「果肉追加」の意味を大声でフランクに教えているのが窓口越しに見えてきたり・・。
このお店は広さとシートが心地よいので行きますが、サービスは一切期待しなくなりました。

ちなみに昨日は、前述のアリオ上田内のスタバに行って「コールドブリューコーヒー」(アイスコーヒー)を頼んだところ、男性スタッフが「今日はいつものホットではないんですね。暑いですものね」と笑顔で語り掛けてくれました。
そのひとことがどれだけ心を解きほぐしてくれることか。

スタバに限らず、そのスタッフのひとことが心の内面から出た言葉か、あるいは上っ面の言葉かはすぐに分かります。
私も改めて肝に銘じたいと思います。

いつものあの店

2021.04.30

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平日の夕方、所用のため軽井沢へ向かいました。

コロナ禍の軽井沢。
人の姿はほぼ皆無です。
こんなに静かな軽井沢は、まるでオフシーズンの1月・2月を見ているようです。

そんな中で休息に立ち寄ったのは、旧軽井沢通りの一番奥にある、大好きな「茜屋珈琲店」。

名物の一枚カウンターの向こうから、いつものようにオーナーご夫妻が温かな笑顔で迎えてくれます。

ずいぶん前ですが、12月25日を過ぎても年賀状のデザインすら出来上がっていない中、ふと思い立って家族でこちらにお伺いして、クラシックな店内を背景に年賀状用の写真を撮らせて頂いたことがあります。
その節はわがままを聞いて頂いてありがとうございました。

さて、ゆっくり腰を落ち着けて珈琲をお願いすると、これまたいつものように、数あるブランドのカップの中からご主人が選んで、時間を掛けて丁寧に注いでくれます。

この日の1杯目はウエッジウッド。

店内の雰囲気、オーナーご夫妻のお人柄とあいまって、じっくり味わう珈琲の美味しさは格別です。

せっかくお伺いしたのでお替りを所望して、2杯目のカップはOKURA(大倉陶園)です(写真)。

軽井沢のホームに帰ってきた、そんな思いに浸って小一時間。
お店を出ると、まだ日が沈まない夕方の旧軽井沢はしんと静まり返ったままで、いつもとは違う残像を残していました。

緊急事態宣言

2021.04.23

今から15年ほど前、私の子どもたちが通う小学校で、児童に向けた薬剤師さんの講演会がありました。

私はちょっと嫌な予感がしていたのですが、案の定、その薬剤師さんは煙草とお酒の害に触れ、児童たちにその2つの存在を否定するような話をしたそうです。

お酒が悪いのではありません。
「未成年が飲酒すること」が悪いのです。

嬉しかったのは、直後に息子が先生に「お父さんはお酒を造っているのに今日の話は悲しかった」と言ってくれ、それに対して先生も素直に謝罪してくれた事です。

今回、3回目の緊急事態宣言が発令されます。

対象の4都府県には「飲食店の酒類禁止」を求めるそうです。

酒は悪くありません。
悪いのは飲む方のモラルの問題です。

お世話になっている飲食店の皆さんの顔を思い浮かべると、悔しくて泣けてきます。

齋藤さんが遺したもの

2021.04.19

facebookで突然「お友達申請」が届いたその方は、前回書いた「小さな酒蔵応援団 革命君」代表の齋藤哲雄さんがこよなく愛した、江戸川区にある「鮨K」のご店主でした。

「鮨K」は、生前の齋藤さんから「本当に素晴らしいお店だからいつか一緒にいきましょう」と幾度となくお誘いを受けていた1軒でした。

「承認」と共にお礼のメッセージを送った私に対し、先方からもすぐにレスを頂き、しばし齋藤さんの思い出話に花が咲きました。
今となっては齋藤さんとこのお店にご一緒できなかった事が悔やまれてなりません。

数日前には、日本酒愛好家として有名な東京在住のイラストレーターSさんからも、突然の電話がありました。
カウンターに乗った「和田龍登水」の写真付きです。

今どこで飲んでいるのかお伺いすると、大田区にある和酒バーTとのこと。
実はこのお店も齋藤さんが大変懇意にされたお店です。
Sさんのあと電話を代わったオーナーと、まだ私が未訪問である事が嘘のように、齋藤さんを思い返しながらふたりで長い会話が続きました。

いつもお世話になっている東京の地酒専門酒販店Kさんから届いた発注書の片隅には「和田くん、気を落とさないでね」とひとこと書いてありました。
齋藤さんと私の繋がりを知っているKさんからの温かなお言葉をしばし見つめながら、涙がこぼれそうになりました。

旧知の富山県の蕎麦屋店主からは、いきなり「ショックです」というメッセージが届きました。
「同じくです」と返した私にまたすぐにレスがあり、文章を交わしながら齋藤さんの悲しみと思い出話に暮れました。

齋藤さんが遺して下さった数え切れない程のたくさんのご縁は、これからも大切な財産として、ずっと守り続けていく所存です。

地酒界の至宝、逝く。

2021.04.10

地酒業界には無くてはならない存在がこの世を去りました。
齋藤哲雄。
地酒専門店「小さな酒蔵応援団 革命君」代表。
40代前半の若さでした。

彼は多くの酒蔵を育て、そして数多(あまた)の地酒関係者に愛され続けてきました。
私もそのひとりです。

齋藤さんと私との出会いは平成22年5月。
初めて参加した「長野の酒メッセ in 東京」でした。

齋藤さんは当時、都内の某有名地酒専門店の番頭でした。
その日当社のブースを何度も訪れては利き酒を繰り返し、終了間際に初めて身分を明かし、取り引きの意思を示してくれたのでした。
それは「和田龍登水」が東京へ進出する大きなきっかけにもなった一瞬でした。

その後、時には上田に来てまで酒質向上のアドバイスを交わしながら、齋藤さんと私との絆は深まっていきました。

しかしある時、齋藤さんを大病が襲います。

戦線離脱で長期療養を余儀なくされた齋藤さんに、多くの地酒業界関係者が復帰のエールを送り続けました。
齋藤さんのために「俺は待ってるぜ!」という黄色いハンカチーフが作られ、私は今も店頭に飾ってあります。

そして齋藤さんは奇跡の復活を遂げました。
退院直後、船橋駅前のガストで久々に顔を合わせた時の感激は忘れません。

退院したとはいえまだまだ満身創痍の齋藤さんは、しかし愛する地酒を世に放つために自身で酒類販売免許を取得し、千葉県船橋市に酒販店「小さな酒蔵応援団 革命君」をオープンします。

たった数坪の小さな店内。
販売対象は飲食店のみ。
配達はせず配送はすべて宅配便。
体調に合わせて営業時間は午後のみ。

このように環境的には万全とはいえない「革命君」と齋藤さんを、多くの蔵元や飲食店がバックアップしていきます。

私も折に触れ、数え切れないほど齋藤さんと電話で話をしました。
そのつど多くのアドバイスをもらい、𠮟咤激励され、それはそれは大きな励みになりました。

齋藤さんが発掘して育てたお酒はその蔵元のプライドとなり、そして飲食店も齋藤さんへの信用でその銘柄を取り扱いました。

数年後、齋藤さんは自身の夢だった大きな店舗への移転を、JR小岩駅から徒歩5分という至便な立地に果たしました。
移転直後のとある日の夕方、アポなしで訪ねた私に驚きながらも、大いに歓迎してくれた齋藤さんの満面の笑顔を今も忘れません。

齋藤さんはFacebookで、「齋藤哲雄」名義では近況を、「革命君」名義では取り扱い商品情報を、連日のように発信し続けました。
それは、時には体調に不安を覚えながらも、愛する地酒を普及させるために体を張って邁進していく、さながら戦士そのものの姿を彷彿させました。

しかしそのFacebookの投稿も、緊急入院を告げた直後の今年2月7日を最後にバッタリと途絶えてしまいました。

そして2か月が経った先日。
お母様から齋藤さんの訃報を知らせる葉書が届きました。
何と入院直後の2月に亡くなったとのこと。

その時のショックと衝撃はいかばかりだったか、計り知れません。

齋藤さんの訃報はすぐにSNSで拡散されました。
齋藤哲雄という男はここまで愛されていたのかと、改めて痛感させられた思いでした。
そして今も、齋藤さんと時を共にした、私を含む多くの者が深い悲しみに包まれています。

齋藤さんが自身の体調悪化と入院を知らせる2月1日の投稿の、最後の一文を抜粋します。

「必ず直します。必ず酒屋復帰します。最後まで諦めず治療に挑みます。」

齋藤さんの思いは今も我々の心の中に生き続けています。

齋藤さん、ありがとうございました。
あなたと出会えてよかったです。

このホームページの「革命君」の名前は消さずに残します。

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