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地酒界の至宝、逝く。

2021.04.10

地酒業界には無くてはならない存在がこの世を去りました。
齋藤哲雄。
地酒専門店「小さな地酒屋応援団 革命君」代表。
40代前半の若さでした。

彼は多くの酒蔵を育て、そして数多(あまた)の地酒関係者に愛され続けてきました。
私もそのひとりです。

齋藤さんと私との出会いは平成22年5月。
初めて参加した「長野の酒メッセ in 東京」でした。

齋藤さんは当時、都内の某有名地酒専門店の番頭でした。
その日当社のブースを何度も訪れては利き酒を繰り返し、終了間際に初めて身分を明かし、取り引きの意思を示してくれたのでした。
それは「和田龍登水」が東京へ進出する大きなきっかけにもなった一瞬でした。

その後、時には上田に来てまで酒質向上のアドバイスを交わしながら、齋藤さんと私との絆は深まっていきました。

しかしある時、齋藤さんを大病が襲います。

戦線離脱で長期療養を余儀なくされた齋藤さんに、多くの地酒業界関係者が復帰のエールを送り続けました。
齋藤さんのために「俺は待ってるぜ!」という黄色いハンカチーフが作られ、私は今も店頭に飾ってあります。

そして齋藤さんは奇跡の復活を遂げました。
退院直後、船橋駅前のガストで久々に顔を合わせた時の感激は忘れません。

退院したとはいえまだまだ満身創痍の齋藤さんは、しかし愛する地酒を世に放つために自身で酒類販売免許を取得し、千葉県船橋市に酒販店「小さな地酒応援団 革命君」をオープンします。

たった数坪の小さな店内。
販売対象は飲食店のみ。
配達はせず配送はすべて宅配便。
体調に合わせて営業時間は午後のみ。

このように環境的には万全とはいえない「革命君」と齋藤さんを、多くの蔵元や飲食店がバックアップしていきます。

私も折に触れ、数え切れないほど齋藤さんと電話で話をしました。
そのつど多くのアドバイスをもらい、𠮟咤激励され、それはそれは大きな励みになりました。

齋藤さんが発掘して育てたお酒はその蔵元のプライドとなり、そして飲食店も齋藤さんへの信用でその銘柄を取り扱いました。

数年後、齋藤さんは自身の夢だった大きな店舗への移転を、JR小岩駅から徒歩5分という至便な立地に果たしました。
移転直後のとある日の夕方、アポなしで訪ねた私に驚きながらも、大いに歓迎してくれた齋藤さんの満面の笑顔を今も忘れません。

齋藤さんはFacebookで、「齋藤哲雄」名義では近況を、「革命君」名義では取り扱い商品情報を、連日のように発信し続けました。
それは、時には体調に不安を覚えながらも、愛する地酒を普及させるために体を張って邁進していく、さながら戦士そのものの姿を彷彿させました。

しかしそのFacebookの投稿も、緊急入院を告げた直後の今年2月7日を最後にバッタリと途絶えてしまいました。

そして2か月が経った先日。
お母様から齋藤さんの訃報を知らせる葉書が届きました。
何と入院直後の2月に亡くなったとのこと。

その時のショックと衝撃はいかばかりだったか、計り知れません。

齋藤さんの訃報はすぐにSNSで拡散されました。
齋藤哲雄という男はここまで愛されていたのかと、改めて痛感させられた思いでした。
そして今も、齋藤さんと時を共にした、私を含む多くの者が深い悲しみに包まれています。

齋藤さんが自身の体調悪化と入院を知らせる2月1日の投稿の、最後の一文を抜粋します。

「必ず直します。必ず酒屋復帰します。最後まで諦めず治療に挑みます。」

齋藤さんの思いは今も我々の心の中に生き続けています。

齋藤さん、ありがとうございました。
あなたと出会えてよかったです。

このホームページの「革命君」の名前は消さずに残します。

馳せる思い

2021.01.30

このコロナ禍で、昨年の3月以降、首都圏に行けずにいます。

イベントもすべて中止。

大好きな酒販店さん、飲食店さん、そしてお酒を通じて知り合った皆さんにお会いできないのが本当につらいです。

そんな中でも、電話やメールでのご連絡やお酒のご注文を頂けると、そのつど感謝の思いで胸がいっぱいになります。

今度県外に出張できたら、このお店とこのお店に行こう、この人とこの人に会おう、なんて考えて、でもそれじゃ一週間あっても足りないじゃんなんて、妄想を膨らますこともたびたびです。

お世話になっている方に当たり前に会って、当たり前にお礼を言える幸せを、このような状況下で改めて噛み締めています。

昨年4月の緊急事態宣言下で購入した、都内の馴染みの酒場の一年間有効のペアチケットが、間もなく有効期限を迎えようとしています。

弊社の「新酒を味わう会」のゲストとして何度も来て頂いた演奏家の東京文化会館でのソロコンサートが昨年5月に中止になり、その振替公演がこの春開催予定です。

この状況下で、果たして行くことは叶うのでしょうか。

とにかく今は前を向いて頑張るのみです。
そしてお世話になっている多くの方々との再会に、思いを馳せ続ける自分がいます。

センセイ、頑張れ!

2021.01.22

浪人時代に机を並べた友人から久々に便りが届きました。

便りといってもただの便りではありません。
彼は某県の県会議員で、届いたのは彼の名前を冠した県議会だより「〇〇〇〇通信」でした。

彼は大学卒業後、実家に帰ったと聞いたまま、しばらく音信不通でした。

しかしある時、いきなり地元の県会議員になったと知らされ、驚く間もなく届いたのが彼の結構披露宴の招待状でした。

県庁所在地の一流ホテルで開かれた披露宴は、県知事をはじめとしたVIPが顔を揃え、「ここで何かあったら県政が麻痺するな」と、一緒に参加した予備校時代の親友と囁き合ったものでした。

しかもあまりの出席者の多さに舌を巻きながら、今我々がいる会場外のロビーがそのまま我々の席になるんじゃないか、などと心配したりもしました。

浪人時代からユーモア満載で、高校時代の同級生で今も一線級で活躍する某男性タレントにお笑いを教えたのは俺だと豪語する彼の言葉は、あながち嘘とは思えませんでした。

現に彼は披露宴の締めの新郎挨拶で、県知事はじめ居並ぶVIPを前に「近くにお越しの際は、迷惑なので決して家には来ないでください」と真顔で言ってのけました。

仕事で彼の県を訪れた際は、わざわざ時間を取って夜の一杯に付き合ってもくれました。

そんな彼ともしばし疎遠になりました。
そして、ずっと届いていた「〇〇〇〇通信」も、いつの間にか届かなくなりました。

しかし先日、その最新号がいきなり自宅へ届きました。
一体なぜ?

でも1面に映っている彼の写真は、30年以上前に机を並べていたそのままの姿でした。
そして文面から、彼が2女の父親であることも初めて知りました。

これだけ時間と距離が離れているのに、不思議と遠さは感じませんでした。
むしろ許されるのであれば、すぐにでも彼と話したい衝動に駆られる自分がいました。

Mくん、県会議員として脂が乗り切っている年齢ですね。
コロナ禍の中、奮闘している様子が伝わってきます。
これからも頑張ってください。
応援しています。
そして機会があれば、また会えることを楽しみにしています。
おたより、ありがとう!

「YMOって・・・」

2020.12.22

仕事中のトラックでラジオを聴いていたら、今日は「YMOが解散した日」なのだそうです。

そうか。
今日12月22日はその日か。

正式にはYMO「解散」ではなく「散開」ね。

私は浪人生活真っ只中でした。
YMO「散開」ツアーの最終日は日本武道館で、しかもこの日の観客はすべて無料招待でした。

このチケットが欲しくて、私は勉強そっちのけで神田の三省堂書店に備え付けられた応募用紙を百枚以上投函しましたが、結果はハズレ。

それから今日まで、このライブの模様はビデオやCDで擦り切れるほど観聴きしてきましたが、今観ても素晴らしいのひとことで、私のベスト・ライブに入る1本ですね。
今もこの日のライブCD「アフター・サーヴィス」は、頻繁に私の車でかかっています。

それにしても驚いたのは、ラジオの若い女性アナが「『YMO』って『イエローマジックオーケストラ』の略だって今、知りました」と語った事。
トラックの中で思わずのけぞってしまいました。
そうしたら男性のメイン・パーソナリティが「メンバーに坂本龍一さんがいたんですよ」なんて、凄まじい解説しているし。
ショックでしたが、世の中は移り変わっているんですね。

YMOはいつまでも不滅です。

「ニュー・シネマ・パラダイス」

2020.11.28

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奇跡です。

大・大・大好きな「ニュー・シネマ・パラダイス」が、30年の時を経て上映されました。

しかもピカピカの東宝シネマズ上田ではなく、私が小学校の頃から通い詰めた、上田の古くからある映画館で。

20代の時に公開されたこのフイルム。
東京の映画館で繰り返し観てはそのつど号泣し、翌年の我々の結婚披露宴では、BGMをすべてこの映画のサントラで埋め尽くさせてもらいました。

そして先日の夜、仕事の合間を縫って、妻と映画館へ駆け付けました。

公開当時の思いもあいまって、我々を含めて4人しかいない館内に甘えて、オープニングから、溢れる涙を拭くこともせず大号泣しました。

それにしても全編を通して流れるエンリオ・モリコーネの音楽はずるいよ。
それだけで涙腺が緩んでしまうから。

ちなみにこの映画館では、すべての作品が1日1回のみの上映で、この日のプログラムは「ニュー・シネマ・パラダイス」の他に、同じ監督・作曲家による「海の上のピアニスト」、そしてなんとフェリーニ特集。
すごいですよね。

気持ちが30年前にタイムスリップした、素敵なひとときでした。

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