「和田龍登水 美山錦」、週明けより発売を開始致します。
いつも通り、「和田龍登水ブランド」のページに掲載してあるお取り扱い酒販店様にてお買い求め下さい。
昨年よりいっそう進化した味わいに仕上がっています。
ぜひご賞味下さい。
信州上田 ほろ酔い社長がつづる日々の記録
「和田龍登水 美山錦」、週明けより発売を開始致します。
いつも通り、「和田龍登水ブランド」のページに掲載してあるお取り扱い酒販店様にてお買い求め下さい。
昨年よりいっそう進化した味わいに仕上がっています。
ぜひご賞味下さい。
「和田龍登水 美山錦」が搾れました。
現在、タンクの中でしばらく落ち着かせています。
瓶詰め出来次第、発売を開始致します。
もう少しお待ち下さい。
なお、一歩早く発売を始めた「和田龍登水 山田錦」も、おかげ様で大変好評です。
お取り扱い頂いている酒販店様、飲食店様、そしてお買い求め頂いたお客様に心から感謝しています。
今、おひとりおひとりの顔を思い浮かべながらこの文章を打っています。
わざわざご感想をお寄せ頂いた皆様、そのお気持ちに改めて深く御礼申し上げます。
皆様のひとことひとことが何よりの励みです。
過日の夕方、妻と一緒に長野市へ向かいました。
お目当ては日本酒と菜食を看板にする居酒屋「べじた坊」。
以前このブログでも紹介したお店です。
お店を営む若きおふたり、若林さんと石垣さんとの出会いは「長野の酒メッセ」で弊社のブースを訪れて下さった事が始まりでした。
その後、一度はお店を訪問したいと思っていた私は、長野市でのライブの道すがら、日本酒の銘柄がズラリと書かれた看板を見て、そこが「べじた坊」である事を発見する偶然に恵まれます。
迷うことなくお店のドアを開けた私をおふたりは歓待して下さり、それからお付き合いが始まりました。
ちなみにこの日、妻は初訪問です。
オープン直後に入店した我々を、いつものようにおふたりは温かく迎えて下さり、そこからは日本酒談義に花を咲かせながらの楽しい時間が過ぎて行きます。
頼んだおつまみは3品。
「長いものふわふわ焼き」
「なめこととうふのととろ鍋」
「タコねぎのジュウジュウ焼き」
どれもが「べじた坊」ならではのオリジナルの看板メニューです。
ちなみにこのお店、1品1品の量がとても多いので、頼む時はご注意を(笑)。
私がひとりの時は「少なめに」とお願いするのですが、それでもかなりのボリュームで、カウンターの隣のお客様とお互いに交換したりしています。
そして日本酒はいつも通り、石垣さんのおまかせで。
今回も素晴らしいラインナップがズラリと並びます。
「風の森」
「鍋島」
「くどき上手」
「九郎右衛門」
「十四代」
「仙禽」
「而今」
「醸し人九平次」
「新政」
日本酒の話題で盛り上がっている時に、その話題に見事にフィットした銘柄がスッと出てくる・・・いつもながら石垣さんの気配りに目を見張る毎回です。
この日も、お腹も気持ちも満たされて、大満足でお店をあとにしました。
「日本酒の素晴らしい世界をひとりでも多くのお客様にお届けしたい」、そんな熱意を胸に今日も若林さんと石垣さんは頑張っていらっしゃいます。
ぜひ一度、気楽にお店のドアを開けてみてください。
先日、三重県の酒販店の専務さんから新規取引きをご希望されるお電話を頂きました。
お酒に対する大変嬉しいご感想を頂いた事に併せて、専務さんのその若々しい話し方もあって、初めてであるにもかかわらず大いに会話が弾みました。
会話が佳境を迎えた真っ只中、専務さんがいきなり切り出しました。
「大変つかぬ事を伺いますが、和田さんはもしかして以前大阪の××で修行されていた事はありませんか?」
えっ!
驚きのビンゴです。
ちなみに××とは、酒販店の跡継ぎが集まってお酒の勉強をする専門の学校でした。
酒類全般の知識に留まらず、セールス・税制・経営等、酒屋を継ぐにあたって必要な知識を、寮生活をしながら半年間に渡ってみっちりと叩き込まれました。
私は東京の大学を卒業した直後、日本酒だけでなくまずは広い意味でのお酒の勉強をするべきという父の意志を受けて大阪へ移り住んでこの学校へ通い、そのあと再度東京へ戻って当時は王子にあった国税庁醸造試験所へと進みました。
「はい、確かに私は××におりましたが・・・ええっ、もしかしてK君!?」
「やっぱりそうでしたか。Kです。『和田・長野県・和田龍』というキーワードしか覚えていなかったので、まさかなあと思いながらお電話したのですが、声もそっくりだったので勇気を出してお伺いした次第です」
何という偶然!
そう、K君と私は同期12名の一員として、××でまさに同じ釜の飯を食った仲間なのでした。
K君の顔が瞬時に脳裏に蘇ります。
いざ分かってみれば、声も当時のK君そのままです。
それからはK君と当時の思い出話で花が咲く事しばし。
25年ぶりの邂逅です。
私はこのブログで、12月に名馬プレストシンボリと共にたった一度だけ素顔を晒している事を告げると、早速直後に「頭は涼しくなっているけれど、あとは昔のままですね」という、照れ臭くも嬉しいFAXを受け取りました。
人生、どこに出会いや再会があるか分かりません。
そんな醍醐味と喜びとをしみじみと感じさせてもらったK君からの電話でした。
K君、これからもよろしく!
前回が最後の来日公演と思われていた「The Rolling Stones」、まさかのジャパン・ツアーが東京ドームで3日間開催されました。
私は3公演中2日目のライブに、まさにトンボ帰りで行って参りましたが、素晴らしかった。
過去の来日公演はすべて足を運んでおりますが、感動と衝撃とインパクトは1990年の初来日のライブに次いで大きなものがありました。
しかも今回は3公演ともセットリストを大幅に入れ替える気合いの入りよう。
初日のセトリをスポーツ新聞の記事で見て臨んだ私でしたが、1曲目からいきなり初日と違う「Start Me Up」「You Got Me Rocking」と続いた時は狂喜乱舞。
中盤以降、私の中ではベストの「Honky Tonk Women」「Gimme Shelter」「Jumpin' Jack Flash」「Sympathy For The Devil」が立て続けに流れ、ついに私の心の歯止めが利かなくなりました。
さらにネットでチェックしたら、最終日は何と1曲目から「Jumpin' Jack Flash」だったとのこと!
何なんだよ、齢70歳を迎えるこのバンドは。
感動で目眩すら覚えた今回の来日公演でした。
だからこそ、最終公演で布袋寅泰がスペシャルゲストで登場したという記事を眼にした時は、激しい違和感を感じました。
ちなみに私は布袋は大好きです。
彼の音楽もギターテクニックも大好きで、今も折りあるごとにCDを引っ張り出してきては聴いているし、ライブDVDも買って持っています。
でも今回だけは「えっ、違うんじゃない?」と、心の中で思わず叫んでしまいました。
だってストーンズと布袋・・・接点がないじゃん。
目指してきた音楽性も違えば、歩んできた歴史そのものもまったく違う。
そもそもストーンズのメンバーが布袋の事を知っていたとも思えない(違っていたらごめんなさい)。
ただ話題作りというだけで布袋が呼ばれたのであれば、それはストーンズにとっても観客にとっても不幸な事だったかもしれない、記事を読んでそう思ってしまいました。
例えばデヴィッド・ボウイのライブで布袋が出演したのは、これはいいんですよ。
むしろ歓ぶべきサプライズであって。
だって、布袋はデヴィッド・ボウイにずっと憧れていて、デヴィッド・ボウイもそれを認めて同じステージに立ったわけだし。
観客だって、夢のコラボとして大歓迎だったはずです。
でも今回は、キース・リチャーズとロン・ウッドのギターに布袋のギターが乗った場面を想像すると、うーん、やっぱり何だかなあっていう思いは個人的にはあります。
でも実際に観た人はまったく違った感想(感動)を覚えたのかもしれませんね。
余談ですが、ストーンズのツアーでずっとバック・ボーカルを担当しているバーナード・ファウラー。
彼はYMOが「散開」した直後の坂本龍一の2つのツアー「Media Bahn Live」と「Neo Geo Live」にメインボーカルで参加していて、それはそれはカッコ良かったのを覚えています。
中でも、坂本龍一がマイケル・ジャクソンのためにアレンジし直した「Behind The Mask」(契約の関係で実現はしませんでしたが)。
YMOとは別物の、ポップでビートの聴いた「Behind The Mask」を歌い上げるバーナード・ファウラーの歌声には、ライブのたびに心底シビれたものでした。
そしてその直後、ストーンズが初来日したツアーで、メンバーの後ろで歌う彼を見つけた時は大いに感動したものですが、今回もまた、ストーンズの勇姿とともに、バーナード・ファウラーの姿とコーラスとをしっかりと目と耳に焼き付けた2時間でした。