「登水」の仕込みが始まりました。
写真は「山田錦」の酒母の仕込みの初日。
掛米(麹米に対して、蒸してそのまま使用するお米のこと)を投入した直後です。
信州上田 ほろ酔い社長がつづる日々の記録
あけましておめでとうございます。
先日、日頃から大変お世話になっているS酒店のKさんを訪ねました。
そこで感動の報告を聞きました。
何とKさん、今年の初夏、現在の店舗からはるか離れた某駅前に2号店の出店を正式に決めたとのことでした。
(正式決定なので他の方に話してもらってもいいよとの事でしたが、当のご本人を差し置いて私がしゃしゃり出るのも筋が違うので、ここではイニシャルとさせて頂きます)
Kさん曰く。
思い立って半年でここまで決めてしまったけれど、やらないで後悔するのは嫌なので前へ進む決断をした。
こんな時代だからこそ、酒屋が酒で食っていけることを自分が率先して証明したい。
近い将来、子供たちが自分の背中を見て親父のあとを継ごうと思える、そんな仕事をしていきたい。
このような内容を熱く語るKさんを見ながら、私も感動で胸が熱くなってくるのが分かりました。
Kさん、男です。
Kさんと私はほぼ同い年、そんなKさんが男の決断をするのを目の当たりにして、私も大いに刺激を受けました。
そして、このような方が隣にいる幸せを噛み締めて私も一歩一歩前進していかねば、そう改めて誓った新年のひとときでした。
またまた凄いお酒を飲んでしまいました。
偶然にも先月にも取り上げたのと同じ銘柄「郷乃誉」から、今回は「超甘口」です。
日本酒度は驚くことに、何と「-40」!
アルコール分も「無濾過生原酒」で「11度以上12度未満」ですから、たぶん良質のもろみを早い段階で搾ったのでしょう。
ご紹介頂いたのは長野県須坂市丸本酒店のご主人、水本さん。
「郷乃誉」をこよなく愛する、私にとっては20年来のお付き合いになる兄貴分です。
この「超甘口」、さらには720mlで240本限定、価格も4,410円(税込)と、何もかもが桁外れです。
水本さんをご訪問した際に勧められ、驚きとともに持ち帰り、封を開けたのが翌々日の晩でした。
グラスに注いで、まずは香り。
ほのかに漂う上品でクリーミーな上立ち香は、まさに「郷の誉」そのものです。
そしてひと口含んだ瞬間、「-40」の数字に違わず、舌の上を一気に甘さが覆います。
しかし・・・この甘さが全くくどくないんですね。
とても軽やかで上品で、サラッと舌を通り抜け、そして喉に抜けます。
あとにはふくよかな甘い余韻が口の中に残るばかり。
気がつくと、もうひと口含もうとしている自分がいました。
妻も一緒に試飲したのですが、妻は私以上に感激し、「これおいしいよね」と言いながら、彼女ももうひと口。
合わせる料理次第では、相乗効果でもっとおいしさが増すこと請け合いです。
日本酒の可能性の奥深さを改めて思い知らされた今回の1本でした。
スパゲッティが好きです。
まあ、嫌いという方はそんんなにいらっしゃらないとは思いますが。
今日はそんなスパゲッティの楽しい(?)思い出です。
学生の頃、私が利用していた品川駅の近くにBというお店がありました。
メニューは全てスパゲッティ、価格は1,000円前後という、いわゆる街のちょっとオシャレなスパゲッティ屋でした。
その中の最も安いメニューとして、そのお店の名を冠した「Bスパゲッティ」というのがありました。
そして驚くことに、その1品だけが、何と「お代わり自由」!
学校からの帰宅途中に初めてそのお店に入った我々貧乏学生は、その文字に魅せられて、迷う事なく「Bスパゲッティ」を注文したのでした。
「Bスパゲッティ」、値段は確か780円だったと思います。
それでも当時の学生の懐具合からすれば高嶺の花の価格です。
はてさて、どんなスパゲッティが登場するだろう、そう胸をときめさせながら待っていた我々の前に現れたひと皿は・・・。
ソースも何もかかっていないただの麺。
しばし呆然・・・これは何かの冗談なのか。
いえいえ、決して冗談ではなかったのでした。
ソースなしの茹で麺を、隣に置かれた粉チーズとタバスコだけで食べなさい、これが「Bスパゲッティ」の正体だったのです。
これを食べ放題ったって、そんなに食べられるわけないし。
しかもこれで780円?
高いし。
仕方なく我々は、せめて元だけでも取ろうと心の中で泣きながら、粉チーズを大量に振りかけて、ほとんど味のない茹で麺に果敢に挑んだのでした。
それでもせいぜい3杯が限度でしたが。
ほどなくして我々は、ひとりが「Bスパゲッティ」を頼んで、もうひとりが普通のスパゲッティを頼み、そのソースを分けてもらうという裏技を覚えました(当時のスタッフの皆様、すみませんでした)。
また、ひとり何杯食べられるかという、「大食い選手権」の原点のような事にチャレンジしたりもしました。
何だかんだ言って、Bに結構通い詰める我々がいました。
でもそんなBもほどなくして姿を消しました。
お客様は結構入っていたと思ったのですが。
懐かしの「Bスパゲッティ」、今でも忘れられない思い出です。
それにしても、一体誰がどうやったらあんなメニューを考え付くのでしょう?
将棋の米長邦雄元名人がご逝去されました。
「名人」をはじめ数多くのタイトルを取り、昨今は日本将棋連盟会長として粉骨砕身されてきた将棋界の重鎮でした。
盤外でも数多くの名言を残し、中でも「相手にとって重要で、自分にとってはどうでもいい対局こそ、全力で相手を倒しに行かなければならない」という米長哲学は、多くの棋士のみならず我々将棋ファンにも多大な影響を与えました。
私自身が米長先生にお目に掛かった事は2度あります。
1度目は、東京千駄ヶ谷にある将棋の総本山、日本将棋連盟の特別対局室にて、対局を拝見した時です。
実は結婚前、将棋を全く知らない妻に、対局中のプロ棋士の美しさをぜひひと目見せたいと思い、ダメもとで日本将棋連盟に対局観戦のお願いの手紙を出したところ、何とOKのお返事を頂いたのでした。
当日緊張とともにフロア一番奥の特別対局室に通され、その時目の前で対局していたのが、当時王将戦のリーグ戦を戦う米長先生と森けい二先生でした。
たった5分ほどの観戦でしたが、おふたりの凛とした美しさは妻ともども今でも脳裏に焼き付いています。
2度目は、米長先生が上田市民会館で講演をされた時でした。
私と妻は米長先生に会いたい一心で、何のアポも取らずに会場へ出向き、「米長先生のファンです。会わせて下さい」と係の方にお願いして、先生の控え室への突入に成功。
その時米長先生は嫌な顔ひとつせずに我々に応対して下さり、そっと差し出した色紙にサインとともに素敵なひと言を添えて下さったのでした。
「化粧より微笑み」。
そう記された色紙は今も私の書斎に大切に飾ってあります。