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信濃グランセローズ

2009.09.18

一昨日、昨日と、長野県民球団「信濃グランセローズ」のナイターを、県営上田野球場まで観に行って参りました。

「信濃グランセローズ」は、プロ野球独立リーグに当たる「BCL(ベースボールチャレンジリーグ)」発足に合わせて3年前に誕生した、地元密着型の球団です。
当初は長野県・新潟県・富山県・石川県の4球団でリーグをスタートしましたが、昨年から群馬県・福井県も加わり、現在は6県のチームでペナントレースを争っています。

試合では明日のプロ野球12球団の選手を夢見て、どの選手もグランドを所狭しと精一杯プレーしています。
またそれを支える監督には、プロ野球で名を轟かせた往年のプレイヤーが就任し、それもまた人気の一翼を担っています。
例えば
・信濃グランセローズ:今久留主成幸(PL学園で桑田とバッテリー→大洋→西武)
・群馬ダイヤモンドペガサス:秦真司(ヤクルト→日本ハム→ロッテ)
・富山サンダーバーズ:鈴木康友(巨人→西武→中日→西武)
・石川ミリオンスターズ:金森栄治(ヤクルト→西武→ダイエー→阪神→ソフトバンク)
こんな感じで、目の前でかつての名選手が采配を揮っているのを見ているだけで心が躍ります。

さて、2日間に渡って足を運んだ信濃グランセローズの試合、両日とも雨天中止になった振り替え試合だったのですが、これまでなかなか時間が取れなかったこともあって、私にとっては今期初めてのグランセローズの観戦でした。
しかも昨夜は今期上田での最後の試合、何とか滑り込みセーフで間に合いました。

今期のグランセローズは前期・後期(2期制)とも最下位で低迷、そのせいか客席はいつもより閑散としていて、翌日の新聞発表では両日とも観客は700名弱。
昨年までは上田での開催はコンスタントに1300名以上であったことを考えると、かなり寂しい動員と言えるのではないでしょうか?
それもこれも、選手を鼓舞する意味であえて言わせて頂ければ、チームが弱いから。
選手たちがいいプレーを披露し、その結果優勝を争うような試合が続けば、観客動員だけでなくチームへの注目度そのものが高まるでしょうし、やはり我々は選手たちがプロ球団に進むためにがむしゃらにプレーする姿を何よりも観たいのです。

以前当ブログでも書きましたが、昨年11月、私がPTA役員を努めた息子の小学校の50周年記念講演会で、グランセローズの三沢社長(日本ハムを札幌に誘致し新庄を入団させたご当人です)と上田出身の選手3名をお招きしました。
その時は保護者はもちろんでしたが、それ以上に子供たちが、目の前にいる本物のプレーヤーに興奮し心ときめかせ、最後はサインを求める長蛇の列が出来て講演会は大成功のうちに幕を閉じました。
ぜひ選手たちには、そんな未来ある子供たちの夢も担っていることを自覚して、精一杯いいプレーを見せてほしいと思います。
それがグランセローズの社是にもある「青少年の育成」への何より物もの近道かと思います。

余談ですが、昨日は「新生上田市発足3周年記念」を銘打って、5回裏終了時に観客席にカラーボールが120個投げ込まれました。
そのボールに書いてある数字の景品がもらえるとあって、5回裏が終わると、グローブを持った子供たちのみならず大人までもが総立ちとなって私も座っていた1塁ベンチ上に集結し、今か今とボールが投げ込まれるのを待っています。
私はひとりだったのであまりはしゃぐのも恥ずかしいと思い静かに座っていたのですが、そういう欲のない時に限って機会は廻ってくるのですね、私の真正面にボールが2個も飛んできて座ったままキャッチ。
すかさずグローブ片手に小学生が駆け寄ってきて「ひとつ下さい!」と言うものですから「どっちがいい?」と差し出すと、「1」と書かれた黄色と「17」と書かれた赤をしばし見比べて「こっち!」と言って赤のボールを取っていきました。
少し走り始めたところで彼はくるりと振り返り、大きな声で「ありがとうございました!」と言い忘れていたお礼をひとこと、何だかちょっぴり心温まる瞬間でした。

ちなみに景品は「1」も「17」も、今公開中で上田市が舞台になっていて市が大々的にPRしている映画「サマーウオーズ」の絵ハガキでした。
とても素敵な絵ハガキで、思いもかけぬお土産となりました。

フリーな半日

2009.08.16

お盆休みのとある日、所要のため東京へ行ったのですが、夜までちょうど半日ほど時間が空きました。
たった半日といえど東京で自由な時間が取れることはそうそうないのであれこれとやりたい事が頭の中を駆け巡り、何をしようか思わず考え込んでしまいました。

その日降り立ったのは上野駅、まずは大好きな落語を観ようと向かったのは上野鈴本演芸場。
しかしいざ着いてみると、そこには「ただ今立ち見です」の無常な看板が・・・。
お盆だし、まあこれも仕方がないかと自分を納得させて、さすがに立ち見はしんどいので、残念ながら入場を断念しました。

折りしもちょうどお昼時、どこかで昼食を取ろうと思い、続いて向かったのが湯島のカレー専門店「デリー」。
ここは親しい方から教えて頂いて以来大のお気に入りで、今回は久々の訪問でした。

満席だったので待つことしばし、狭い店内のカウンターに通されて、迷う事なく頼んだのは極辛の「カシミールカレー」。
運ばれてきたのはチキンが乗ったサラサラのカレー、これをライスにかけておもむろに口に運ぶと、香辛料が混ざり合ったスパイシーな味わいと共に辛さが全身を直撃!
一気に吹き出る汗をハンカチで拭いながら、それでも次から次へと食べる手を休める事ができません。
本当の極辛、でもただ辛いだけでなく味が深いんですね。
だから飽きることがありません。
結局最後の一滴までカレーを食べ尽くして、大汗を掻きながら大満足の思いで席を立ちました。

食後の散歩がてら、真夏の太陽が照り付ける中、不忍池から上野公園をぶらぶら散策しながら辿り着いたのは東京都美術館。
ここで開催中の「トリノ・エジプト展」を観ようと思ったのですが・・・入った途端ロビーまで溢れる大行列が目に入り、思わず最後列に目を凝らすと、そこには「入場まで只今30分待ち」の看板が。
待つのは仕方がないにしても、入場してからの大混雑は「フェルメール展」でも経験済み。
こちらも断念してすたこら退散し、さてどうしよう、せっかく空いた半日なのに、上野公園の一角で悩む事しばし。

そして向かったのは新宿。
やはり寄席の思いが絶ちがたく、新宿駅からすたこら歩いて三丁目の新宿末広亭の前に立ったのは、ちょうど「夜の部」が始まったばかりの午後5時過ぎでした。
どうやらこちらはまだ座れる様子。
すぐに木戸銭を払って場内に入ると、何と客席の9割方は埋まっています。

思えばこの末広亭は学生時代よく足を運びました。
仲間と「寄席ツアー」を組んで大勢で来た時は普段は開放されていない2階に上げて頂いたり(あの時のトリは今は亡き志ん朝でした)、歩き疲れて場内の両脇にある桟敷席で足を伸ばしてゆったりと時を過ごしたり、色物のさり気ない芸の凄さに圧倒されたり(大好きな漫才あしたひろし・順子にもこの時目覚めました)・・・懐かしい思い出が満載です。

久々に訪れたこの日は、椅子席の最後列の一番端が空いていたので体を埋めて、この日出演の三遊亭一門の芸に酔いしれました。
夜の予定が入っているのでトリの小遊三までは観れませんでしたが、中入りからふたり目の三味線と踊り、桧山うめ吉(きれいな女性です)まで観て席を立って外に出ると辺りは夕やみ。
これは一杯呑むには打って付けの雰囲気と、すぐ隣の居酒屋「庄助」へと体は吸い込まれていきました。

この「庄助」も東京に住んでいた頃はよく通った一軒です。
当時はまだ改装前で、その趣きある雰囲気が好きで仲間としょっちゅう呑んだくれてました。
何年も前に改装の報を仲間から聞いてはいたのですが、新装「庄助」に訪問するのはこれが初めてでした。

入口のカウンターに席を取り、まずは生ビールで喉を潤わせてから焼きとん、モツ煮込みを頼み、さて熱燗でもと思ってメニューを見ると(私は夏でも熱燗が大好きなのです)、そこには「末廣」の文字が。
そうでした、このお店は当時から熱燗は会津の「末廣」なのでした。

普通の居酒屋でレギュラーのお酒を頼むと、メニューにはただ「酒」とだけ書いてあって銘柄が分からない事が多い中、こちらのお店はしっかりと「会津若松の酒 末廣」と記されています。
嬉しさでいっぱいになりながら頼んだ熱燗は、懐かしさやお店の空気ともあいまって本当においしく五臓六腑に染み渡り、新宿でのしばしのひとときは心地よく過ぎていったのでした。

追悼山田辰夫

2009.08.02

俳優の山田辰夫が亡くなりました。
53歳という若さでした。
数々の映画やドラマの名脇役として知られ、最近では映画「おくりびと」で、妻を亡くし訪れた納棺師に最初は反感を抱きながらも、きれいに死化粧を施された妻を見てその美しさに涙しながら最後は深々と感謝の思いを述べる、物語のキーとも言える中年の男性役を見事に演じていました。

しかし、私にとっての山田辰夫といえば、何といっても彼のデビュー作「狂い咲きサンダーロード」。
私が高校生の頃ですから今から約30年も前、「高校大パニック」で鮮烈なデビューを果たした石井聰亙監督の次回作として公開された本作を観て、まさしく吹っ飛びました。
全編に渡ってスクリーンから溢れ出る熱気とエネルギー、その中心を担っていたのが暴走族の特攻隊長・仁(ジン)を演じる山田辰夫でした。
街中の暴走族に反旗を翻しひとり抗争を繰り広げていく彼のその存在感に、当時の私はまさしく釘付けになりました。

その頃の邦画界は東宝・東映・松竹・にっかつの大手4社のすきまを縫って、いわゆるATG系をはじめとした低予算ながら冒険心に溢れた良質な作品が次々と生み出されていた頃で、その中でもこの「狂い咲きサンダーロード」は私の中で異彩を放っていました。
山田辰夫のちょっと鼻にかかったあの独特な声が耳から離れず、ロードショーが終わったあとも名画座のリバイバルや、さらにはそのあとようやく出始めたレンタルビデオを求めては繰り返し観たものでした。
公開当時のパンフレットが欲しくて堪らなくて、ついに東京神保町の映画専門の古書店で発見した時は、ただただ感動ものでした。

余談ですが、石井聰亙監督は「狂い咲きサンダーロード」の流れをそのまま汲んで、「爆裂都市-BURST CITY-」を発表します。
これまた圧倒的な熱気と異様な興奮とに包まれた「凄まじい」という表現そのままの映画で、当時映画評論家からは散々に叩かれましたが、「これは暴動の映画ではない、映画の暴動だ」のキャッチフレーズそのままに、私はまたまたスクリーンに釘付けになったのでした。
陣内孝則率いるロッカーズ、大江慎也率いるルースターズ、遠藤ミチロウ率いるスターリン、泉谷しげる、町井町蔵(現在は作家の町井康)、戸井十月、漫画家の平口広美、コント赤信号など、異色といえばあまりにも異色な出演者たちのもと、近未来の架空の都市を舞台に起こった暴動の映画を観るために何度も映画館に足を運んでは心を鷲掴みにされたあの頃の思いは今でも忘れません。

当時たぶんカルト的な人気を誇った石井聰亙監督とこれらの作品群、その流れの始まりであり中心の一翼を担ったのがまさしく山田辰夫でした。
なかなか発売されなかった「狂い咲きサンダーロード」のDVDが発売されているのを立ち寄ったタワーレコードで偶然発見し、狂喜乱舞して買い求めたのは、奇しくも山田辰夫が亡くなる数日前でした。

中禅寺湖の宿

2009.07.11

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社員旅行で奥日光へ行って参りました。
そこで泊まった中禅寺湖畔の宿がとても素適でした。

日光中禅寺湖温泉「ホテル四季彩」。
日光国立公園内に建てられているため、高さ制限によって1階・2階のみのシンプルな建物でしたが、それがかえってこの宿の特徴を醸し出していて、客室・ダイニング・浴室等の効果的な空間利用、清潔感溢れる館内、そしてエントランスをくぐった時にまず目の前に広がる明るく開放的なロビーが好印象でした。

この旅館で心に残った点をいくつか書き留めておきます。

まず何よりも「近からず遠からずの距離感」を大切にした接客に心打たれました。
少なくとも、これまでの温泉旅館のサービスとは明らかに一線を画していました。
例えば、通常はチェックインのあと部屋までぴったりと付いてくる仲居さん制度を廃止し、清潔なアロハシャツに身を包んだ男性(!)や女性スタッフが、まさにホテルのポーターのように部屋まで案内してくれ、部屋に入るとそれ以上は介入せずにすぐに部屋をあとにします。
そしてその分、何かリクエストがある時は親身になって相談に乗ってくれたり、廊下でスタッフにすれ違うと明るい挨拶を率先して掛けてくれたり、もちろん従来の旅館の接客が好きな方には異論はあるでしょうが、私にはその「距離感」がとても心地良く感じられました。
またその事により、仲居さんへのチップはどうしようかという、小さいようで実は大きな心配をしなくていもいいというありがたさが身に染みました。
ちなみに支配人と話す機会があったのでその事を伝えると、まさにその「近からず遠からずの、距離感を大切にしたサービス」を目指しておりますとの答えが帰って参りました。

食事の会場も素適でした。
我々は5名だったので宴会場へ通され、畳に椅子席という、今ちらほら見受けられる新しい形が料理ともども大変快適だったのですが、それ以上に感心したのが少人数用のダイニングでした。
温泉旅館というと、少人数での食事は、部屋出しの場合以外はともすれば肩身の狭い思いをする事が応々にしてありますが、こちらのダイニングはシティホテルのレストランを彷彿させる洋風のモダンな空間が用意されていて、ぜひこちらでも食事をしてみたいと思ったほどでした。

あと、さり気ない事ですが、冷蔵庫が空っぽだったのも嬉しい配慮でした。
ホテルならばいざ知らず、温泉旅館でこのような配慮は、飲み物等はどうぞご自由に持ち込んでお冷やし下さいという無言のメッセージを思わせて、とてもありがたく感じました。
その姿勢にお礼の意味も込めて、自販機で多少高めのビールもたくさん買いましたし、食事の際は地元栃木の地酒をばんばん頼みました。
急がば回れの精神で、結果的には利益に繋がっていると思います。

そして肝心の温泉も本当に素晴らしかったです。
乳白色の湯はずっと浸かっていても飽きる事なく、露天風呂では奥日光の自然を眺めながら、心身ともにゆっりとくつろがせて頂きました。

また、開放的なロビーでのフリードリンクもありがたかったです。
ただの飲み放題ではなく、おいしいミネラルウォーターやコーヒー、器もNORITAKE 等のコーヒーカップや部屋に持ち帰る方の紙コップの常備等々、しっかりと目が行き届いていて清潔感にも溢れていました。
ちなみに私は翌朝ひと風呂浴びたあと、このロビーの片隅の洒落たデスクセットに腰掛けて、コーヒーを啜りながらゆっくり読書に勤しむという優雅な時間を楽しませてもらいました。

ぜひ再訪したい一軒ですし、また再訪した際は、そうした客の思いをしっかりと汲み取ってくれる宿だと感じ入ったひとときでした。

憧れのグランメゾン

2009.05.23

先日出張で東京へ行った折、日頃から公私ともども大変お世話になっている方からランチのお誘いを頂きました。
喜び勇んで、待ち合わせ場所のJR有楽町駅で落ち合いそこから歩いてほんの数分、連れていって頂いた先が・・・思いも寄らぬ感動の一軒でした。

有楽町「アピシウス」。
フランス料理界を代表する老舗のグランメゾンです。
同じ銀座・有楽町地区では「レカン」「ロオジェ」などと共にいつか一度は行きたいと思っていた憧れのお店だっただけに、まさかその日が今日訪れようとはと、地下へと続くお店の入り口に立った時は夢見心地でした。

階段を降りてエントランスから案内されるがまま、曲がりくねった長い回廊をゆっくり歩いた先に、華やかなメインダイニングが登場します。
途中の廊下やバーラウンジ、そしてメインダイニングに飾られた絵画や彫刻を眺めながら、これが噂に聞くユトリロ、シャガール、ワイエス、ロダン等々の本物かと、おのぼりさん状態で思わず回りをキョロキョロしてしまいました。

料理は今日はホストの方に完全にお任せ。
メニューは以下の通りです。

・オーベルニュ地方 フルム・ダンベールチーズのムースリーヌ 初夏のフルーツ添え
・海の幸のソーセージ仕立て アネットの香り
・茹でた北海道産ホワイトアスパラガス オランデーズソース
・和牛頬肉のプレゼ ブラックオリーブ風味 自家製のヌイユ添え
・デゼールとコーヒー

ちなみにホワイトアスパラガスはアラカルトメニューからの追加でした。
ここに、ワインを軽く飲みましょうということで選んで頂いたのが「ピュリニーモンラッシェ・プルミエ・クリュ・ピュセル 2002 ドメーヌ・ルフレーヴ」。
まさか今日ルフレーヴを飲めるとは思わなかったので感激に輪が掛かりました。

総じての感想ですが、やはり素材とソースとのマリアージュを大切にしたクラシックフレンチは素晴らしいと改めて実感致しました。
最近はどちらかといえば、素材重視のシンプルな調理法でソースも軽めの、いわゆる現代風フレンチが主流となっています。
しかし好みから言えば、クラシカルなソース(あるいはそれを発展させたソース)が、やはりしっかりと調理された食材と絡み合って真価を発揮する重厚なひと皿が私は好きです。
語弊を承知で言えば、フレンチなのかイタリアンなのか区別がつかなくなっている皿も多くなっている昨今だからこそ、クラシックなフランス料理とその進化にはなおさら新しい発見と魅力を感じます。

それらにしても店内が満席なのには驚きました。
不景気とはいっても魅力あるお店にはちゃんと人は集まる、不景気を言い訳にしてはいけない、そんな事を肝に銘じました。

ふたりでおいしい料理と楽しい会話とで過ごしたあっと言う間の2時間半、最後のプティフール(小菓子)に至るまでグランメゾンの魅力を堪能致しました。
食事を終えて地上に戻ると、燦々とした日差しが体に降り注ぎ、現実に戻った頭の中で、先程の午餐のひとときが夢のような時間として脳裏に焼きついたのでした。

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