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先崎学九段のこと

2020.04.04

将棋棋士、先崎学九段の新刊「将棋指しの腹のうち」を深夜に一気読み。
やはりこの人の著書は面白い。
先崎先生の本は全部持っていますが、どれも彼の文章は明るくて、そしてユーモアとウイットに富んでいて、読んでいて気持ちが明るくなるのが嬉しいです。

前著「うつ病九段」だって、彼がうつ病を患って棋士を1年間休業して闘病した様子を描いているのたけれど、リアルな中にも暗さは微塵も感じられず、読了後はただただ素敵な文章を読んだという清涼感が残る素敵な一冊になっています。
ただ先崎先生が病名を公表せずに休場を発表した時は、何が起きたのかとファンは大変心配したものですが。

先崎先生の文章で素晴らしいのは、交流のある棋士の失敗談を明け透けに打ち明けたりプライベートの姿を面白おかしく茶化したりしているのだけれど、そこには相手への敬意と愛が満ち溢れている点です。
今回の著書のあとがきでも、羽生善治先生をはじめとして、登場した多くの棋士に詫びながらも、でも僕が書くのは僕が大好きな人ばかりです、と明言されていて、彼の手に掛かるとどの棋士も本当に輝いて見えるから不思議です(いや、実際に輝いているのですけど)。
現役時代の加藤一二三先生に、誰も聞けなかった謎をズバリと聞くくだりなんかは爆笑ものです。

そんな先崎先生ですが、何年も前、将棋界の最高クラスであるA級を降級するかどうかの一番をテレビの生放送で観た時の衝撃は今も忘れません。
深夜、いよいよ敗勢に追い込まれて、膝を抱え頭を掻きむしり体をよじって盤上に没入する姿は、いつもの先崎先生とは別人の、闘う人間の凄みと美しさがそこにはありました。
結局彼は破れ、降級が決まってしまうのですが、多くの人の心を激しく打ったことは間違いありません。

病気から復帰され、今はまた元気に活躍されている先崎学先生。
そんな先崎先生と、一度酒席をともにしてみたいなあ。

「うん」ではないですよね?

2020.02.28

先日、行政の方から電話がありました。
「以前こちらからお送りしたアンケートにお答え頂いていない」との事。

私は覚えがなかったのですが、こちらの見落としと思い、口頭で丁重に回答をし始めたのですが・・・。

私が話す先から、先方の男性の相槌が「うん、うん、うん、うん」。
それもかなり力強い「うん!」です。

「それに関してはですね」
「うん、うん、うん、うん!」
「このようになっておりまして」
「うん、うん、うん、うん!」
「お分かり頂けますか」
「うん、うん、うん、うん!」

友達同士の会話じゃないんだから、「うん」じゃなくて「はい」でしょ。
はっきり言って不愉快です。

こちらもアンケートを見落とした非があると思い、ある程度は我慢していたのですが、さすがに堪忍袋の緒が切れました。
途中で会話を遮り・・・。

「ちょっと待ってください。こちらが話した事に対して『うん』は失礼でしょう!普通は『はい』ですよ!失礼ですけど、あなたの『うん』という相槌は、真剣に答えているこちらが舐められている気にさえなります!」
「申し訳ありません!」
「分かって頂ければいいです。では会話を続けましょう」

そこからは何事もなく平穏に会話は進みました。

が、この方は普段からこういう受け答えをしているんでしょうね。
それで今まで誰にも咎められなかったのでしょう。
今日のこの一件で少しは改善されればいいのですが・・・どうなんでしょうね。

フォーマルな会話の中で「うん」という受け答えが時々見受けられる事は以前も書きました。
「人のふり見て」ではありませんが、私もこれを機に改めて気を付けていきたいと思います。

引き続き頑張ります。

2020.02.24

いつもありがとうございます。
おかげさまで時節柄、大変忙しい毎日を送っています。

このホームページをデザインして下さっている女性デザイナーの方から、立ち上げの時に言われた言葉があります。

「ブログはできる限り書きましょうね。ブログが更新されているという事はホームページが動いているということで、それはとても大切な事なので」

その方からのアドバイスを今日まで続けてきています。

今回はたったこれだけですが、忙しさを言い訳にせず、何とか更新しようとする自分がいます。

皆様に美味しいお酒をお届けできるように、引き続き頑張ります。

「Thank u」

2020.02.14

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時折足を運ぶ上田市内の食事処。

いつもものすごく混雑していて、入れなくて帰ることもあるのですが、通っているうちに若旦那や若女将やスタッフの皆さんと少しずつ顔馴染みになってきて、挨拶も交わすようになりました。

で、嬉しいのは、このお店のさり気ない心遣いです。

写真はその一例です。
この可愛いイラストは伝票の裏に書かれたものです。

この日も順番待ちのお客様が並ぶ満席の中、「お待たせしました」と料理とともにサラリと置かれた伝票の裏に、このイラストを見つけた時の嬉しさといったら。
時々あるんですよね。

僕も茶目っ気を出して、次の時は伝票の裏に感想を書いてレジで出したりとか。

あとは、多忙を極める厨房からわざわざ若旦那が出てきて、ご挨拶をして下さったり。
この前は若女将が「これ、たくさん頂いたんですよ」と言って、5円玉が入った福袋を手渡してくれたり。

そんなささやかなおもてなしで、このお店で過ごした時間が何倍も楽しく感じられて、また来ようと思う自分がいます。

お客様を大切にしようという気持ちはしっかりと伝わるものですよね。

神田松之丞から中上健次まで

2020.01.10

寝酒がわりに読み始めた神田松之丞「絶滅危惧職 講談師を生きる」。
面白すぎて、眠れなくて困っています(笑)。

神田松之丞の著書というよりはインタビュ-形式の対談集なのですが、インタビュアーの女性の言葉の引き出し方が巧い!
思わずぐいぐいと引き込まれて、いつの間にか神田松之丞という芸人の虜になっています。

同じように聞き手が極めて秀逸な一冊として、かなり前ですが評論家か誰かが挙げていたのが矢沢永吉「成りあがり」。
思わず膝ポンです。

矢沢永吉をほとんど知らなかった高校生の私が、この本をどれだけボロボロにして矢沢永吉の生きざまに魅せられたか。
今もページが茶に変色した1冊が書架に並んでいます。

この「成り上がり」、確か聞き手は糸井重里だったと思います。
当時の糸井重里はコピーライターとしても絶頂期で、週刊文春に連載された「糸井重里の萬流コピー塾」では、天才と凡人の言葉のセンスの差を毎週思い知らされたものでした。

さて、そして矢沢永吉。
私が敬愛する中上健次が自身のエッセイの中で触れています。

中上が矢沢永吉と静岡のライブの日に初めて出会った日の風景。
リハーサルでは、矢沢がステージに上がった瞬間すべての音や空気が引き締まるのを肌で感じ、ライブでは矢沢のステージに身も心も奪われ、ライブ後の酒席では、酔って一方的に話し続ける中上の言葉に矢沢はずっと耳を傾け続け、矢沢がぽつりと話した一言に中上が口を挟むと矢沢はまた静かに耳を傾ける・・・。
「成りあがり」への賛辞と合わせて、中上健次がどれだけ矢沢永吉に心酔していったかが如実に分かる、粋な文章です。

そういえば昨夜、BSの旅番組で、紀伊半島を縦断しながら新宮駅が登場しました。
中上健次の出身地であり、彼の作品の核となった土地、新宮。
そして私と妻とで、中上が吸っていた空気を少しでも感じたくて、上田から片道7時間掛けて二度訪れた新宮。
その新宮駅は当時と変わらぬまま、テレビの画面の中で佇(たたず)んでいました。

今日は指が流れるままに脈絡なく打ってしまいました。
神田松之丞から中上健次まで・・・。
表現できる力を持っているって素敵だなあと思います。
今日はそんな締めで失礼します。

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